お気楽自己紹介・旅編、今回は、2回目の海外旅行で行った韓国です。
大学2年のときに韓国人留学生と共に韓国を回りました。
テジョンで万博が行われていたのでそれを見てきました。
1993年なので、20年前ですね。自分も年を取ったものです。
万博では、どこかの国のパビリオンで風車の展示物がありました。
その国の係りの人(たしか白人女性でした)が説明していたのですが、韓国語でも風車は漢語由来のようで(プンチャ)、日本語の風車と発音が似ていたので、「日本語ではふうしゃと言うんですよ」と説明した覚えがあります。
日中韓そして東南アジアなど、中国周辺国は伝統的に漢字を使っています。
漢字は表意文字でわかりやすいですし、便利だと思います。
「中国語を東アジアの共通語に」という気持ちはありませんが、漢字をもっとうまく活用すれば東アジアでは便利になるのにと思います。
しかし、現実は日本を除いてどこも廃止する方向のようですし、日本も漢字について重点を置いてはいないようです。
なんだかもったいない気がします。
ソウルでは韓国人留学生のお宅に泊めさえてもらいました。ホームステイですね。
家庭料理はどことなく日本食と似ているのですが、基本的にどれも辛い味付けやキムチがついてくるのが韓国流でした。
実は、私は辛いものが食べれないんです。なので、ご飯に海苔や卵で食べていました。
留学生の友人が訪れてきて、「この映画を見て欲しい」とのことなので一緒にビデオを観ました。
「金の戦争」という映画です。
内容は在日韓国人が日本で起こした監禁事件についてです。
彼(留学生の友人)がなぜ僕たちにこの映画を見せたかったのでしょうか。
事件を知ってもらいたかったのか、事件について私たち日本人の意見を聞きたかったのか、事件について彼ら韓国人の意見を聞いてもらいたかったのか。
その時何を話したか、もうまったく覚えていないのですが、彼らと一緒にビデオを見て語り合って「交流」したのは確かです。
会ったり話したり一緒に何かすることでお互いについて分かり合えることはたくさんあるはずです。
逆に、会わなくても話さなくてもお互いを分かり合えることもあるはずです。
大切なのは、わかりあおうという気持ちかなと思います。
残念ながら、その当時の若い僕にその気持ちがどこまであってどこまで行動できたのかはわかりませんが。
大学のときは留学生がたくさんいました。
たくさんいたのでそれを普通と思っていましたが、今となってはもったいないことです。
もっと交流しておけばよかったと思います。
(続く)
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