カウアイ島では知人に紹介されたマッサージを受けてきました。
その人は住宅地の、看板もない普通の家の普通の部屋で仕事をしています。「サロン」という感じは全くありません。
HPはあるもののそれで来るお客さんはいない気がします。ほとんどが紹介でしょう。
それなりに固定客がいるようです。
仕事としてお客さんを呼ぶ場合は、それなりに気を使って部屋をきれいにしたりするものだと思いきや、彼にはそういう気張りがないようです。
100%生活感アリです。
だからといって私はそれを不快とも感じませんでした。
「勉強になると思うから」と知人から紹介されたのですが、確かに特徴的で勉強になりました。
彼の施術は一言で言うと「痛い」です。とにかく痛い。
オイルマッサージというよりは、整体です。
トリガーポイントや硬結(コリ)を狙いまくり、柔軟性・可動域を上げるために筋や腱をかなり伸ばします。
僕も痛いところを狙うほうですが、彼は痛いところしか狙いません。気持ちよいマッサージをしようという気は(あまり)無いようです。
「私はいろいろな強さのレベルに合わせられるから」と言っていましたが、きっとどの人に対してもかなりの痛さで行く気がします。
紹介してくれた知人が「彼から施術を受けると、小さくて細い女性が普段どんな気持ちで大柄の男性施術者から受けているか感じられるよ」と言っていました。
確かに、そんな気分になれました。
3時間ずっと痛いマッサージを耐えて受けていました。
痛みに耐えながらいろいろなことを考えていました。
痛みにも色々な種類があるもので、「気持ちの良い痛み」もあれば「耐えられない痛み」もあります。
いわゆる「いた気持ちいい」は、「よし、そこそこ」と嬉しくなります。
それと比べて、「きつい痛み」は、本当にきつい。苦痛です。
痛いマッサージの後に気持ちの良いマッサージが来ると、ほっとします。台風一過、もしくは冬の後の春のようです。
それに対して、我慢して痛みに耐えたと思った後にもう一度同じ痛みが来ると、「またか」という絶望のような気持ちになります。
痛い後に優しいのが来るか痛いのが来るかで、受け手の感じ方はだいぶ違います。
痛みを必死に耐えていると、「なんでこんな痛い思いをしなくてはいけないんだ」という怒りや、「まだずっと痛いのが続くんだ」というあきらめが生まれます。イタイイタイと叫べば気がまぎれて現実逃避できると覚えたり、本当に痛いのを我慢して恐怖感すら生まれてきます。痛さが一線を越えると失神さえもします。この時の自分も、痛み続けて震えるように息を乱していました。(実際に自分は過去に痛くて失神しかけたことがあります。)
まるで人生の縮図のような時間でした。
私はこの人に対して決して悪口を書こうと思っているのでありません。
なぜ彼がここまでして強くしているかの理由がわかっているからです。
ただ、この痛みはみんなが受け入れられるわけではない。
自分はここまで強くしようとは思いませんが、「必要な痛み」がある場合、どうすれば受け入れてもらえやすくなるかということでを考えました。
エサレンのティーチャーでペリーという人がいます。
私は1回しか彼のワークショップを受けたことがありませんが、彼はその点をとても上手にやっていると思います。
彼の「ディープボディワーク」にはかなり痛い強圧の時があります。
受け手に痛みを与えるかもしれませんが、痛いかもしれない場所には本当にゆっくりと優しく入って行きます。そうすると侵略的でなくなり、耐えられやすくなります。
痛い後には必ず優しくフォローして安堵を与えます。痛いのですが、全体的には痛みよりも優しさが感じられる施術です。
むやみやたらに痛いのではなく、その痛みが受け手にとって意味のある必要な行為ということを感じさせながら施術しています。
痛みが伴うほどの強圧は、必要だという考えも必要でないという考えも、両方あります。
痛くないほうがいいでしょうが、強圧で効果が出るのは確かです。強圧を受け手にどう与えるか。その時に出る痛みをどう扱うか。そんな大きな課題考えながら、痛いマッサージを受けてきました。
いやー、本当に痛かった。できたら次は気持ちいいマッサージを紹介して欲しいな。
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http://oil.blog.shinobi.jp/Entry/597/痛いマッサージ 【ハワイ訪問日記(2):カウアイ編】