ロミロミワークショップで一緒だった仲間たちに来てもらい、エサレンマッサージの練習をしました。
私はエサレンマッサージの認定プラクティショナーになってもう3年ですが、未だに自分に足りないところに気づかされる毎日です。
奥が深い世界ではありますが、同時に自分の習得の遅さをも感じます。
私が思うエサレンマッサージでは、相手(受けている方)が今その時に感じていることやその時の状況を大切にした施術にしたいと思っています。
しかし実際には、相手(受け手)のことより、施術する自分の都合や欲求が強く施術に入ってきてしまいます。
例えば、指に触れられたくないという方がいたとします。
「怪我をしているから指はマッサージしないで欲しい」という場合には受け手(マッサージを受ける人)が自己申告するし、マッサージする側もそれに従うでしょう。
しかし、そういう怪我とかではなく、心理的な理由や潜在的な理由で無意識の内に拒んだり(逆に望んたり)することがあります。
「今は人の優しさを素直に受け入れられない」という心境の時は、手と手が親密に触れるような動作を無意識に拒むかもしれません。そういう時は、手を怪我している時とは違い、指に触れられたくないということを本人も気づいていないことが多いのですが、私の思うエサレンマッサージではそういうことを汲み取って施術したいと思っています。
しかし、
普段は全身をくまなくストロークしているので指も含めていつものようにマッサージをしたいという自我(自分のわがまま)がついつい入ってきてしまいます。
「いつもどおり、じぶんのやりたいように施術したい」という欲求が出てきてしまうのです。
指を抜かして施術することは技術的には簡単なことです。何も難しいことはありません。それをジャマするのは「いつもどおり指もマッサージしたい」という自分の欲求だけです。
昨日の練習でもそういうことが出てしまいました。
「受け手(相手)の今その時の気持ちを汲み取って施術したい」なんて思いながら、実際には自分のわがままを押し通してしまっている。
うまくできなかった。
当の友達は「よかったよ」と言ってくれましたが、練習だったので素直に「うまくできませんでした」と伝えました。
しかし、できなかったという反省をしているようでいて、実は「自分は未熟です」とただ逃げているだけなような気もしました。
10のうち3が上手くいかず7は上手くできている時に、私は上手くできている7ではなく、上手くいかなかった3にだけ意識が行くクセがあります。
「できなかった」と落ち込んだりそれをバネに頑張るのは自分の勝手ですが、そのできていない部分を相手に強調するのはよくない押しつけです。
「今、ここ」の心境を大事にしたいと思いながら、自分自身のことはきちんと見えてない。見ていない。
しかしそろそろ、自分の「できていないこと」だけではなく「できていること」もきちんとみえるようになりたいと思っています。
だって、みなさんの「できていないこと」だけじゃなくて「できていること」もきちんとみえるようになりたいのだから。
エサレンマッサージセッションでは何かに気づかされます。
素敵なものに出会えました。僕のライフワークです。
ありがとうございます。
[2回]
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