沖縄に行ってきました。
1泊2日でしたが、しっかりリフレッシュできました。
今回の沖縄の目的はwatsuを受けることでした。
watsuは水中で行うボディワークです。
言葉の説明より、動画を見たほうがわかりやすいと思います。
https://youtu.be/_gBtpZ92p4A
受け手(お客さん)は浮き具を付けて浮かびます。
施術者が体を動かしてくれるので、それに身を委ねてストレッチされたりマッサージされたり、非日常的な時間を楽しんだりします。
今回も大満足のセッションで、沖縄まで行った甲斐がありました。
ちょっと重たい話になりますが、受けた感想を書こうと思います。
受け手は水に浮かんでいますが、顔(目・口・鼻・耳など)に水がかかるのは怖いものです。
施術者は受け手の首を支えてコントロールしてくれますが、「顔に水がかかる」という時は怖さを感じてしまいます。
それまで気持ちよく受けていたものが、一瞬にして「怖さ」に邪魔されてしまいます。
(有料セッション以外も含め)過去に何度かwatsuを受けましたが、上手なセッションはこの「怖さ」がない(少ない)です。
逆に「水がかかるかも」と思いながら受けるセッションではリラックスしきれません。
顔に水がかかるのは怖い。
だから、
・施術者は顔に水がかからないようする技術力が必要で、
・施術者は受け手に「顔に水をかけないようにするから安心してね」という気持ちを持ち、それを(行動で)伝えること、
・そして受け手がそれを受け入れて素直に身を委ねること、
リラックスにはこれらが必要だなと感じました。
「顔に水をかけない技術力」「安心してねと思う気持ち」はもちろん大切ですが、「この施術者なら大丈夫だから安心して受けよう」と思う受け手の気持ちも大切で、これがなかなか難しい事だとも思います。
「リラックスしろ!」と言われてリラックスできるものでもありません。
本人がリラックスできる環境だと思わなければできないのです。
人間を含め動物は、敵が襲ってこないように常に身構えている必要があります。
だから、警戒心が解けないのは本能的なもので当たり前なのかもしれません。
だけど、ずっと警戒モードでは疲れてしまいますし、実際に必要以上に警戒モードのままで疲れ切っている人もいます。
だからこそ、「リラックスする力(能力)」が大切だと思います。
リラックスする力は必要だし、リラックスできるような環境であることも大切。
これが両方あってこそです。
こんなことをwatsuセッションで感じていたのですが、watsuに限ったことではないでしょう。
例えばマッサージでなら、「顔に水がかかる」は「痛い」に置き換えられるでしょう。
(「痛気持ちいい」はいいですが)「痛い」は、本能的に嫌なものです。
だから、痛くさせない技術力は必要ですし、「(不必要に)痛くしないから安心して受けていてね」という気持ちを持ち、そしてお客さんがそれを受け入れてくれるような環境を作ることが大切です。
そして、マッサージ以外にも、日常生活での対人関係にも当てはめることはできるのではないでしょうか。
「嫌な人」に対してはリラックスできないです。身構えてしまいます。
相手が自分のことを「嫌だ」と思っているとしたら、自分は相手を嫌にさせないこと、そして「嫌なことをするつもりはないですよ」と伝えることが必要でしょう。
逆に、自分が誰かのことを「嫌だ」と思っている場合、もしその人が自分に対して嫌なことをしてくるならそれは当然のことでしょうが、もしかしたら相手が嫌なことをしてくるわけではなく自分が一方的に「嫌だ」と思って警戒しているだけかもしれません。そうだとしたら、リラックスできないのは自分の力で改善できるかもしれません。
自分はマッサージの仕事をしているしマッサージを受けるのも好きなので、与え手(giver)と受け手(receiver)の両方の視点を持ちやすいのかもしれません。
しかし、どんな人も与え手側と受け手側の両方の視点を持てたら、何か良いヒントを得られるかもしれません。
なんだかとても大きなことを思い浮かべてしまいました。
本当は「無」になるつもりで受けに行ったんですけどね。
けど、心のどこかで思っていることが浮かび上がってきたりするのも楽しいものです。
また「非日常」を感じたくなった時に受けに行きます。
小笠原さん、ありがとうございました。
[3回]
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http://oil.blog.shinobi.jp/Entry/775/沖縄でwatsuを受けて -2015年4月沖縄旅行記(1)-