エサレン研究所に何をしに来たのか。
それは、
エサレンマッサージを楽しみにきたのであり、
ペリー(先生)の技術を学びにきたのであり、
エサレンの雰囲気を味わいにきたのであり、
エサレンを思い出しにきたのである。
英語で思った以上にダメージを受けている自分であるが、
これらをするために、英語はどこまで必要なのだろうか。
もちろん、英語ができるとできないとでは大きな差はある。
しかし、英語ができなくても体感・習得できることもたくさんあるはずである。
なぜ、できない事に囚われ、できる事に目が向かないのか。
自分は、本質ではないところに惑わされている。
自分の目的を忘れていないか。
エサレン・マッサージなどが目的であって、それを得るための手段が英語なだけである。
英語が目的ではない。
しかし、これは普段の日常でも同じようなこと起こっていると思います。
「幸せに生きたい」のに、「幸せに生きるためにはお金が必要だ」とお金のことで悩んだり。
「健やかでいたい」のに、だらけてのんびりしている自分に罪悪感を感じたり。
大好きなエサレンマッサージ、エサレン研究所にいながら、それを楽しめない自分を苦々しく感じるのでした。
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http://oil.blog.shinobi.jp/Entry/855/手段と目的 -エサレン研究所・CA旅行記(4) -エサレン編