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【旧】てあてやブログ -アロマオイル整体&エサレンボディワーク

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「ハウマーナ」

映画「ハウマーナ」を観てきました。
フラダンスをテーマとしたハワイの映画です。

インディペンデント系(自主映画)なので、一般の映画のように普通に公開されているのではなく、イベントとしてホールを借りての上映です。

男性フラダンサーとその(未熟な)指導者の物語です。
脚本や演出はわかりやすく、不必要に凝ったゴテゴテしたものがなく、とても見やすかったです。
ハリウッド映画の過剰な演出が好きな人には物足りないかもしれませんが、私はこういう素直なのが好きです。


私はハワイの文化に詳しくありません。何度かロミロミのワークショップに参加しましたが、それだけで理解できるものではなく、もっと奥の深いものです。

ハワイの文化は基本的に直接人から人へ口伝えにしていくと聞いたことがあります。だから、書物や映画のようなものはあまり好まれないと。
その真偽は私にはわかりませんが、きちんとハワイについて書かれた書物や映画が少ないのは事実です。

これはハワイアンのそして本物のフラダンサーが監督の映画です。この映画はフラについてですが、ロミロミを含めハワイの文化を知るとてもよいツールになると思います。
ハワイを(ロミロミも含め)知りたい方にはおすすめです。


上映の後は、監督への質問コーナーがあり、とある女性がした質問がとても印象的でした。

「(映画の中で)フラを習っている男子高校生が、学校で友達に馬鹿にされたり、親から(フラダンスを踊るのは)ゲイだと言われたり、宗教の理由で親から反対されていました。ハワイの人ならフラに対する理解があるのが当たり前だと思っていたのですが、そうではないのですね。」と。

監督の答えでは、この質問のとおりで、実際にはハワイでもハワイの文化に対して理解されていないことが多々あるそうです。

どんなに良いものでも、皆に理解されるのは難しいようです。


私も自分のことに当てはめて考えてしまいました。
私はマッサージを仕事としていますが、マッサージが皆に理解されているかというと、残念ながらそうではありません。
もちろん、「大好きだ」「お世話になっている」「必要だ」という人はいますし、自分は仕事に誇りを持っています。
しかし、実際には、マッサージ(などの仕事)を格下と思う人もいるし、裸でオイルマッサージをする(受ける)のを「エロ目的」とか(男から受けるのを)「気持ち悪い」とか決めつける人もいるし、私が(ただ体を揉むだけじゃなくて)心を込めて施術しようとしても理解してもらえないことも多々です。

たぶん世の中の多くのことがそうでしょうが、皆にすべてを理解されるのは難しいと思います。
理解してくれる人もいるし、理解してくれない人もいる。
それは致し方ない気がします。

自分がすべきことは、それに誇りをもって、正しくそれを行っていくことかなと。そうすれば、理解されるべき人には(いつか)理解されると信じています。

http://haumanamovie.com/


http://youtu.be/489jHYrNtE0

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「フィンドホーンへのいざない」

「フィンドホーンへのいざない」(寺山心一翁:著)を読みました。


フィンドホーンはイギリス・スコットランドにあるコミュニティで、滞在したりワークショップを受けたりできます。
エサレンマッサージのワークショップが開催されているので、以前から名前だけは聞いたことはありました。

フィンドホーンはとてもスピリチュアルな場所です。
創設者が精霊からメッセージを受けてこの地を作ったというところからして、もうスピリチュアルです。

スピリチュアルに関して興味がある人、無い人、信じる人、信じない人は様々でしょうが、私は比較的すんなりと読むことができました。
「エンドウマメの精霊から野菜の育て方を教わる」というのはイマイチぴんと来ませんでしたが、
「植物を切るときには話しかけて許可を得る」というのは実は自分もやっていることです。

スピリチュアルというと、なんだかふわふわしたような、浮世離れしたファンタジーと思う人もいるかもしれませんが、実は自分がそうだと認識していないだけで案外とスピリチュアルな行動をしているかもしれません。

僕はオーラは見えないし、チャクラが開くといわれても気とかエネルギーとかもぴんと来ないですが、次の文章のところでは妙に共感させられました。

「私は毎朝日の出を待つうちに、太陽が顔を見せるちょうど四十分ほど前、小鳥たちがいっせいにさえずりはじめることに気づいたのです。」
「小鳥たちは、木々が光合成を始め、大地に満ちている空気の質がパッと変わる瞬間を感じとっていたのでした。」
「私は自然の仕組みのすばらしさを感激するとともに、人間はこういう宇宙の営みを忘れているのではないかと思いました。」
「私は日の出までだいぶ間がある時刻から、小鳥たちが眠っている木立のそばで観察してみました。すると小鳥が鳴き出す瞬間に、木の葉からふわっとした期待が出ているのがわかったのです。」
「日の出前に松、杉、檜のような大木の前に立っていると、樹木が水を大地から吸い上げはじめる瞬間に樹木から気が発せられるのがわかるというお話をうかがい、意を同じくし、嬉しくなりました。」

これを読むと、気とかエネルギーもあるのではという気がしてきませんか?



最近の私は、「お金」のしがらみに悩むことが多いです。
この本の中にお金に関する部分があったので、お伝えします。

「霊性を追及する人は、しばしばお金を卑しみます。けれど、それは拝金主義と同じく、お金に対するこだわりです。」
「本来、お金は善でも悪でもなく、ただエネルギーをは運ぶ媒介なのです。」
「商品を買うという行為は、その背後にある人々とのかかわりを買うことでもあります。商品の背後には、それを生産した人、運搬した人、販売する人がいるからです。あまりにも安い商品は、誰かがどこかで適正な賃金を得ていないということです。」
「有機野菜かフェア・トレード商品か地域の特産品かという私たちの選択のひとつひとつが、この世界を織りなしている」
「だからこそ、買い物は霊的な気づきを実践する場でもあるのです。」
「『こういう理由で、私はこれを選ぶのだ』と意識すれば、瞑想するのと同じように、広い視野を持つことになります。」

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「家族連鎖のセラピー -ゲシュタルト療法の視点から」

家族連鎖のセラピー -ゲシュタルト療法の視点から
百武正嗣:著

以前、同著者の「気づきのセラピー -はじめてのゲシュタルト療法」を読みました。その本と同様、この「家族連鎖のセラピー」も読みやすくわかりやすく書かれています。私のような心理療法・ゲシュタルト療法の素人にも優しい本です。

個人の抱える心理的な問題を家族という視点から探る内容です。

深刻な家族関係を持つ人、
円満な家族関係の人、
円満でも深刻でもないけど多少は気になることがある人、
などそれぞれだと思います。

自分はどちらかというと3番目(多少は問題がある)だと思います。自分にもいくつかの心理的な問題がありますが、それを考えた時に「ああ、そういえばこれは自分の家族の問題と繋がっている」と驚きました。もちろんすべての問題がわかりやすく気づけるわけではないです。また、自分と直接の関わりのある親の代だけではなくその前の先祖の代から繋がっている可能性もあると書いてあります。会ったこともない先祖の代から繋がって今の自分に問題が起きているというのはちょっと考えにくいかもしれませんが、この本を読むと納得がいきます。


家族連鎖は心理療法のゲシュタルト療法という視点でかかれていますが、過去が自分に作用しているという点で、次に挙げる本との共通点を強く感じました。


知人から頂いた本で、偶然に次に読んだ本です。



幸運を引き寄せて離さない「循環の法則」と「引力の法則」
島本了愛:著


これはスピ的自己啓発的な本で、「こうすればよりよく生きられますよ」ということがわかりやすく書かれています。

要約すると、
『自分に起こる出来事は以前の自分がしたことが返ってきているもの。だからいま自分が同じことすれば、またいつか返ってくる。循環している。良い事も、悪い事も。ヤッテヤラレテ、ヤラレテヤッテ。だから悪い循環を断ち切りたい時は、自分がされて嫌なことを自分がしないことだ。ただ、その時は辛い「負の感情」が生まれてくる。そういう感情は素直に解放すればいい。溜め込まないことだ。』
というようなことが書かれています。

その負の感情(イヤだ、辛い、泣きたい、怒りなど)を溜め込まないことを喩えで「負の感情は、感情のウンチ」と表しているのはとてもわかりやすかったです。

「出したいときに出せば元気でいられるけど、ためてしまうとさまざまな病気を引き起こす」。「ただ、大人だから、子どものようにいつでもどこでも怒ったり泣いたりしません。どこでもかまわずウンチをしないのと同じで、わいてきた負の感情も、一人でこっそり解放する、これが感情解放のエチケット」。
だそうです。
わかりやすいですね。




さて、「家族連鎖のセラピー」に話を戻します。

この本は、家族関係に問題がある人はもちろん、そうでないと思っている人も参考になると思います。
決して心理療法関係者向けだけの本ではないので、興味がある方は読んでみてください。


さて、この本の中で印象的だった部分を転載します。
「今-ここ」に現れてくる「未解決な問題」。自分にもあります。



(以下引用)

ゲシュタルト療法の基本的な考え方であるアンフィニッシュド・ビジネスという概念からとらえていきたいと思います。これは日本語では「未完了な事柄」とか「未解決な問題」と訳されています。
(略)
人や動物は、生存するために「今-ここ」の現時点で必要なことに気づく能力を備えています。例えば水分が不足してくれば、のどの渇きに<気づく>ことができます。(略)このように生き物は有機体として生存に必要なことを感じたり気づいたりするようになっているのです。
この原理は精神的なことでも同じようにあてはまります。人間は動物の中で最も精神(心)を発達させることができました。そのために、人間は「未解決な問題」にも対応する能力を獲得してきたのです。(略)有機体としての人間は精神も同じ原理で不足している<未完了な>心の穴を埋めるために必要なことに気づく能力を獲得してきました。

もし、この生存に必要なことを満たすことができなかったとしたら何が起こるでしょうか。その<未完了>な事柄に対して、さらに欲求が高まっていきます。(略)空腹を抑えていると「空腹感」はさらに強くなっていきます。(略)
精神の機能も、これと同じことが言えます。もし人が悲しい体験をしているのに泣かずに我慢していると、どんなことが起きるでしょうか。(略)
悲しみや甘えたい気持ち、寂しさや怒りはさらに高まっていくのです。つまり感情や気持ちは、<未完了>で表現されないでいると、それを刺激する出来事や人に出会うと過剰な反応を起こしてしまいます。このように<未完了な>感情や経験は時間と空間を越えて存在するのです。それが完了するまで、日常の刺激に出会うと<浮き上がる>のです。
(略)
私たちの<未完了>な感情や、抑え込んで感じないようにしていた「未解決な問題」も、日常の生活では見えないように隠されています。
このように「今-ここ」の現時点では、あたかも存在しないように見えるのですが、いつでも存在し続けているのです。時間と空間を越えて存在し続ける、というのがゲシュタルト療法の「未解決な問題」の概念です。

(引用終了)

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「これがボディワークだ 進化するロルフィング」

「これがボディワークだ 進化するロルフィング」を読みました。
小川隆之、斎藤瑞穂:共著

ボディワークが何かについて書かれた本です。

ボディワークとはマッサージ業界で使われる用語で、一般の人には馴染みが無いかもしれませんし、この業界でも、ボディワークはマッサージと同義として捉えられているのではないでしょうか。

自分も否定できませんが、あん摩マッサージ指圧師免許を持たない者が業務上「マッサージ」と名乗れないためにその代替用語として「ボディワーク」を使っていることが多いように思えます。
もしくは、整体の英語訳としてボディワークを使っている場合でしょうか。(それは適訳ではないでのすが)

しかしこの本では、「ボディワークとはリラクゼーションや治療を目的にするものではなく、本来的には身体機能、身体バランスの向上が目的であり、それに欠かせないのが身体教育である」と書いてあります。

すなわち、ボディワーカーは治療をするのではなく、身体教育の教育者であり、顧客に対して学習を促すのが役割だそうです。


著者は「3大ボディワーク」の一つであるロルフィングのプラクティショナーであり、ロルフィングについても書かれていますが、そのロルフィングが一時期拠点にしたエサレン研究所についても詳しく書かれています。

私が知る限り、エサレン研究所について書かれた日本語の本と言えば「エスリンとアメリカの覚醒」ですが、この本だと情報が散漫であり、訳本ということもあり読みにくさがあります。
しかし「これがボディワークだ」ではエサレン研究所の歴史的経緯をうまくまとめられ、かつ、読みやすく書かれています。エサレンプラクティショナーも一読の価値があると思います。

なお、文中でこんな記述がありました。

『最近日本では、エサレンマッサージが「エサレンボディワーク」と呼ばれることもあります。実は、エサレン研究所の公式サイトにもそのように記される場合があるようです。これまでエサレン研究所では、「マッサージ」と「ボディワーク」とを明確に区別し、教育プログラム上でも別扱いをしてきているので、2つの名称を混同しているとは思えません。方針、あるいは教育プログラム上の変更でもあるのでしょうか。』

これについては私も知らないことなので、知りたいところです。


また、「統合」についてこんな興味深い記述もありました。

『(ロルフィングの)第8~10セッションは「統合」のセッション群と言われ、身体のあらゆる部分間のバランスを作り出すと同時に全身の統合を目指します。
(中略)
彼女(アイダ・ロルフ)の言う「統合する」ことは、「修復する」ことではなく「治療」の領域でなされるものでもありません。それは「教育」の領域でなされるのです。
(中略)
「統合する」とは、「身体を効果的に機能させ、同時にその状態を主体的に体験できるように導くこと」ではないでしょうか。』

この本によると、アイダ・ロルフは統合について明確に定義しておらず、ロルファーになる教育を受けても「統合」については教われないそうです。

エサレンのクラスでも統合という用語はよく出てきますが、自分は未だに理解できないでいます。
他のプラクティショナーの方はどうなんでしょうか。
また、アメリカ人が"integration"(統合)と聞いた時は、すんなり理解できるのでしょうか。
それとも僕と同じくピンと来ないでいる人もいるのでしょうか。

エサレンにおける統合についてきちんと理解したいです。



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「アレクサンダー・テクニックの使い方」

アレクサンダーテクニック(テクニーク)は、名前は聞いたことがあるもののどんなものか知らなかったので、この本を読んでみました。

アレクサンダー・テクニックの使い方
芳野香:著

アレクサンダーテクニックは、病気や怪我を治す「治療」が目的ではなく、自分のからだの使い方の癖に気づき適切なからだの使い方を学ぶ「教育」が目的でその結果症状が改善される、だそうです。

できないこと(例えば、ピアノが弾けない人が弾き方を習うとか)ではなく、日常的にできてはいるけど自分の知らない悪い癖がついていて(例えば、パソコンを使うときに猫背になる癖がついている)、それがからだに悪影響を及ぼすのなら(例:頭痛になる)、その自分の癖に気づき改善していく、ということのようです。

いま「PC作業時の姿勢が頭痛の原因」というわかりやすい例を自分で作って挙げましたが、実際には何が原因かわからないけど辛い症状がおきていて困っているという場合に依頼されることが多いようです。

確かに自分もそういう経験がありました。
(整体の)仕事が忙しくなってくると自分の首がものすごく痛くなることがありました。
寝違えてしまったように、振り向けないし、痛くて動かせなくなるのですが、なぜそうなったのかがわからない。
けど、よくよく考えたら、自分のからだの使い方が原因でした。
体の硬いお客さんが来たときに、自分もがんばって「力」でその硬いコリに対抗していたのです。
その時に自分の肩(首)をすくめて力む癖があり、がんばって力を入れれば入れるほど、自分の首に負担をかけていました。
そのことに気づき、それをしないように気をつけてからは、首が痛くなることもめっきり減りました。


何か困ったことが起きたとき、日常生活・習慣化した行動のなかにその原因があるということは、自分の行動しだいでそれを改善できるということです。

誰かに施術してもらって辛い症状が治るのはいいですが、誰かに施術してもらわなければ治らないのも困りものですから、それを知るだけでもすごく安心できるはずです。

自分にもお客様にも、困った症状が起きたときに習慣化した行動が原因だろうなとは思うも具体的には何か特定できないことが多いので、アレクサンダーテクニックについて書かれたこの本をとても興味深く読んでいました。


以下、この本の中で気になった部分を抜粋します。


「トラブルシューティング」にいそしむことだけが改善の手段ではなく、むしろ表面的にはトラブルと見なされない「できてしまう」けれど「なんだか変だなあ」とおぼろげに感じているような事象の中に「からだの使い方」の改善のための膨大なヒントが潜んでいる。


例えば、あるクライアントは「すぐ寝違える」「たっぷり寝たはずなのに、朝には身体がこわばっていて、疲れが取れない」ということに悩んでいました。「どうやら寝ているのに力が入っている」ということは薄々自覚していましたが、どうやって力を抜いていいのかわからずにいました。確かに寝ていて意識がない状態で力を抜くことを意図するのはとても難しいことです。しかし「意識がないのに力を入れることができている」ということは「無意識」(やっているつもりのない行動)にこそヒントがあると考えたほうが自然でしょう。レッスンでは、昼間起きていて行うような動作の中で我知らず行っている「無意識の力み」(かなり頻繁に、かなり力を入れていたことが判明)を具体的に自覚し、それを改善していくことで「寝入りがスムーズになった」「ぐっすり眠れた感じがして、起きるときにつらくない」というふうに睡眠に充実感が出るようになりました。


他人とのかかわりのなかで「私が<わたし>で居づらい」思いをして苦しむ方はいます。自分を「守るため」に、ちょっとした嘘を(自分にも、他人にも)つくことが「くせ」になっているひともいます。それゆえ身体的にも、感情的にも「判断の基準」がわからなくなってしまうこともあるようですし、「守る」ためとはいえ、「うそつき」もやはりつらいようです。


身体に力を入れ続けることは、それ自体が防御であり、自分を守る作業でもありました。しかし、たくさん力を入れれば自分の安全を保障できるというものでもありません。力を入れ続けることによる防御がその役割を終え、今までのやり方が今の自分には合わないと感じたとき、「からだの使い方」を学ぶことを通して今の自分が見えてくることがあります。

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